こんばんは。
名古屋のかおりんです。
今日は、
「無条件の愛」ついて
考えてみようかと(笑)
あ、、、
これだけかいて
答えが出ちゃった😓
でも、
時間を戻そう(笑)
いま出た答えの前に
考えていたことを
残しておこうと思います💦
私が子どもの頃にもらっていたいた愛は、
条件付きの愛。
こんなにやってあげてるんだから
あなたもなにかをしなさい。
こんなにやってあげてるのに
あなたは・・・。
あんなにしてやったのに 「のに」がつくとぐちが出る
相田みつをさんが残された言葉ですが
本当に、「のに」がつくと
あとから出てくるのは、
愚痴なんですよね。
子どもが大人の愚痴を聴くって
私、、、
結構、堪えられなくって。
そんなこと言うのなら
いりません!!と
強く反発してたなぁ。
強く反発するから
子どものくせに可愛くないと
負のループに~~~~💦
いま思えばですよ、、、
「のに」の奥にある「悲しみ」や「寂しさ」を
察することができますが
子どもの私には、
そんなことができることがなく
私は、愛されていない。
何かをしないと愛されないと思ってた😅
で、
条件付きの愛ならいらない!!!
と心の中で何度、
叫んでいたことか。
愛なんていらない。
愛なんて欲しくない。
愛なんて必要ない。
と、、、
受け取り拒否をすることに
なっていったんだと思います。
必死に愛を求めてるくせにね(笑)
そんな幼少期を過ごし
今に至っているので
そりゃ、
いろんな面で拗らせてますよ。
私は、何かができないと愛されないという
前提をもって生きていますから(笑)
いつも、
何かすることに対して一生懸命で。
一生懸命だから
頑張れば
何とか何でもできちゃうようになり
自分ですべてを抱えて
頑張ってしまう。
そうやって
頑張っている自分が
一番いい自分だと思っている。
そうすると
できないことが出てきたときに
できない自分はダメだ。
一人で解決できない自分は価値がない。
お決まりの自分責めコース💗(笑)
自分が創り出してしまった世界で
あぁでもない、
こぉでもないと
もがいている、、、😓
そんな中、
私は、全肯定&全受容である「在り方」に
出会ったわけですよ。
人は、何かができるから素晴らしいのではなく
何かができなくても
その存在そのもの自体が
そもそも素晴らしいものである。
素のままの自分が
そのままで愛される存在なんだってことに
この歳になるまで
気がつかなかったわけです😅
誰かに愛されることを望む前に
自分のことを愛せよ❣ってことなんですよね~。
めっちゃシンプル✨
私は、
誰かに愛されたくって
自分のことを蔑ろにして
愛して、愛して、
と、外に意識を向けてばかりいた、、、
自分ことすら愛せていないのに
他者を無条件に愛せるのか?
私が欲しいのは、
「無条件の愛」なのに、、、
私が思うに・・・
自分のことを愛せない人の「愛」って
「条件がある愛」だと思うの。
だって、、、
自分を愛せない悲しみや寂しさなんかが
へばりついてる訳でしょ?
その悲しみや寂しさを埋めるために
愛して欲しいんだから
「なにかしてよ」と条件がでてきて
それこそ
こんなに愛しているのに・・・と
愚痴が出ちゃうのでは?と。
いままで抱えていたこんな想いたちが
全受容&全受容できる「在り方」を知って
それすら愛おしく思える😊💕
この経験をしているからこそ
語ることができるネタがある(笑)
このコツがつかめたら
無条件の愛って
あるんだ、、、って
思える(笑)
私の無条件の愛とは、
全受容・全肯定の在り方である。
あなたにとっての
無条件の愛って何ですか?
今日もいい日だ。
ありがとう💗