・・・私がわたしであるために・・・

  大人の女性が安心して自己表現できるよう生きざまを魅せ、語り継いでいきます。

「不安」は、いつも側にいる

私は、自分の感情を擬人化して

小さな私に例えると

とっても府に落としやすいので

自分の中にある「不安な気持ち」を

私の中にいる一人の子供に置き換える。

 

 

 

 

不安になっちゃいけない、ことが前提になっていると

不安でいる自分って不安定でダメだってことになっちゃう。

 

 

でも、

不安は、いつも側にいる、ことが前提になると

不安って言う感情は、

大きくなったり、小さくなったりしているだけだってことに気がつく。

 

というか、気がついた。

 

 

この「不安」っていう子は、
この先に行っちゃうと危ないことがあるかもしれないよ。
転んで膝小僧を擦りむいちゃうかもしれないよ。
ってことを教えてくれているわたし想いの子。

 

 

そして、

どうも私の中にある「不安」っていう子は、

クセの強い子みたいで

私一人では、慰められないってことにも気がついた。

 

どうも複数人の手が必要らしい。

 

私だけじゃなくて

複数人の手でいい子いい子して欲しいみたいだ(^_^;)

 

というのは、

今日、「アクセスリーディング」なるものを体験してみたの。

 

そこで、「不安」を話した(放した・離した)

 

大きくなってしまった感情は、

誰かに話す(放す・離す)に限る♬(*^^*)

 

 

 

 

私自身を見失いそうになるぐらいその不安が大きくなっていることは、

その反対側には、どこかに行きたくてうずうずしている私がいるってこと。

 

なるほど。

こうやって感情を客観的にみると

自分のことながら面白い。

 

 

たとえ、

真っ暗な先の見えない森の奥だとしても

「助けてくださーい!」と叫ぶ私の声は、誰かに届くだろう。

その声が誰かに届いたならば、

「どうしたの?」と差し伸べられる手があることも知っている。

 

だったら、

この「不安」と共に手を取り合い先が見えない道を進むのも悪くないよね?

 

 

私は、おぎゃーと産まれた命がその輝きのまま

輝き続けていって欲しいと願っている。

そして、たとえ傷ついたとしても

その傷は、あなたにとっての素晴らしい輝く宝物であることを知っている。

私の傷が私の宝物になったように。

傷は、宝物になるってことを伝えたい。

今更とか、手遅れとか、、、そんなことは一切ない!

それは、私が実証済み♬

 

 

 

 

ふと思い出した、、、。

子どもの頃、海に行ったとき。

「海には、サメがいるから海に入っちゃダメ!!!」って

泣き叫んでいたことがあったなぁ。

あれは、なんだったんだろう?(^_^;)

 

このこと書き始めると長くなっちゃいそうなので

次の機会にしよう(^_^;)

 

 

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