・・・私がわたしであるために・・・

  大人の女性が安心して自己表現できるよう生きざまを魅せ、語り継いでいきます。

今の私になるまでのストーリー①

PDCで書いた私の「マイストーリー」

折角なので

ブログに残そうと思います。

省略する部分もありますが

シリーズものになります(笑)

 

f:id:kirakirakaori:20191009215910j:plain

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私は、子供の頃、大人たちのやり取りを見ていた。

産みの母と育ての母の間で

あげただの、もらっただの、

私を物のように扱っていると感じていた。

 

 

だから、

私は、この世界に必要のない存在だと思いながら生きてきた。

 

そんな思いを忘れ、結婚し、子どもを産んだ。

子どものために、まだ、死ねない。

そんな思いがふとよぎる日もあった。

 

 

継母が大嫌いだった私は、

継母とは正反対の子育てをしてきた。

 

家系図リーディングから見ると

順行・逆行の法則だ。

 

 

いま思えば、

継母と私は、陰陽のバランスをとっていたんだと思う。

お互い、

愛したい、愛されたいと思いながらも

すれ違っていた。

 

 

 

認知症が始まり、私のことが分からなくなった母から

 

「香里がいなかったら生きていけなかった」の

 

言葉を聞いたときは、

涙が溢れた。

車に乗り込んだ途端、号泣したっけ。

 


なんで生んだんだ!と言い放ち、

生みの母を泣かせてこともあった。

 

未熟だったね。

 

 

でも、それが、私がこの世界に来て学ぶことだった。

自分ですべて選んできた。

いま、そう思える。

 

 

そして、

私をこの道へ導いて気くれたのは、

孫の存在のような気がする。

 

 

初孫が生まれたあの日、忘れもしない。

私は、娘と孫を同時に失うかもしれない覚悟をした。

 

 

お産は、母親も生まれてくる子も命がけなんだってことを改めて実感した。

 

 

産む、生まれるってことは、

当たり前のことではなく、奇跡なのかもしれない。

 


そうやって産まれてきた孫は、

産まれたその日に

「障害が残るかもしれません」と

告げられた。

 

 

それから私は、「発達障害」に興味を持ち、

「言葉がけ」や「特性」などを学んだ。

 

そんな私の目の前に【子育て支援】という仕事。

掴み損ねそうになったけど、物凄い押しでゲット!

やりたい!と思ったら、カッコ悪い自分でもいい。

やりたいもんは、やりたい!

なんとしてもつかみ取りたい!って思う私がいたことに自分でも驚いた。

 

 

そして、二人目の孫。

この子は、自分が生まれてくる日を選んで産まれてきてくれたと思ってる。

 

 

子は、親を選んで生まれてくるって言うそうだけど

孫二人は、私の娘以上に、私を選んで生まれてきてくれたんだと感じる。

 

 

 


そのおかげで、私は、かがやき智子さんに出会うことができた。

 

智子ちゃんに出会ったことで、まなゆいに出会った。


まなゆいに出会ったおかげで、
私は、この世界にいてもいい存在だと
ようやく実感することができた。

 


これがきっかけとなり、
次から次へ、私が「わたし」に還る旅が始まった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

これは、実話です(笑)

私の生い立ちについては、

かなりの個人情報になるので

直聞きしてください😊

 

私が、わたしに還るクエストの始まりまで。

つづきは、また、次回に♬

 

 

今日もいい日だ。

ありがとう♡